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2005年06月

略称がわからない方のために解説すると、銀英伝とは銀河英雄伝説のことです。久しぶりに読みたくなって通勤時に読んでるんだけど、初めて読んだときはその登場人物の多さに非常に苦労した覚えがあります。もうなんとなく読んじゃって、お気に入りのキャラしか追わなくなってるみたいな。だって、常時登場するキャラクターが40人くらいいるわけですよ。40人。小説じゃ顔もわかんないし、とても覚えられない。アニメ版を見てようやく理解できたというしだいで。

そんなわけで、「やっぱ顔付きのキャラ紹介は無いときついよなあ」と思ったわけですが、ふと、「キャラ紹介のページを作るためにアニメの画像を使うのは著作権上問題があるんだろうか」と思った。以下、思いついた要素。

  • 画像は紹介するキャラがアップになった場面を載せる(加工しない)
  • これは一連の動画の1枚の静止画である(つまり部分引用)
  • 画像のサイズはサムネール程度とする
  • キャラ紹介では、キャラの特徴と筆者の印象を記述する。
  • 銀英伝はキャラクターが多く、名前だけでは読者に伝わりにくいため顔もセットで必要だと考える

筆者の印象というものを加えることで事実の羅列とすることを避け、名前だけではイメージがわきにくいという点をアピールしてみたいです。ダメかな?

iTunes Music Storeの日本版が8月に来るなんて話で盛り上がってるけど、ちょっと出発点に帰りたいなと。

レンタル店で正規盤のシングルが100円、アルバムが300円で借りられるという状況は、やっぱり基準だと思うんですよ。レンタル店に行く手間を省けたり、レンタル店が近くに無い人が手軽に音楽を入手する手段としての考え方があるわけですから。

だけど、音楽配信だとプロテクトが掛けられる!とうれしがってぎっちぎちにして、俺たちが牛耳れるじゃん!と値段も強気に設定した。でも、レンタル店だとプロテクト無しの正規盤がやっぱり簡単に入手できる。ユーザーからすると、今はライセンス料を払っているはずのレンタル店の料金だと妥協できて、音楽配信だと空想を追い求めるのかが理解できない。よって、レンタル店が近くにある人はレンタル店を利用し、無い人は不便だなあ・・とつぶやく。

なーんか、力が抜けちゃうよねえ。

注:「力が抜けちゃう」のが結論なので、「そうですよね、許せません!」系のコメントはご遠慮ください。

規制するとは言うけど、中国がどれほどに苦労してるのかわかってるのかなー。国内だけ取り締まれば解消するものでもない。本気の人間は海外のサイトだって見るんだから。

結局は親などの身近な人間がコントロールする必要があるってことで、国はプロバイダレベルでのアクセスコントロール手段導入の手助けをする方に力を入れるべきじゃないかなあ。プロキシを通らないとWebにアクセスできなくして、そのプロキシでフィルタリングするみたいな。

一応、i-フィルターのようなソフトもあるけど、ソフトだとWindowsごと再インストールされて終わりだしなあ。(動作環境にInternet Explorerと書いてあるけど、Firefoxに触れていない点も気になる・・・。)

asahi.com: 有害サイト規制を検討 爆発物や自殺関連 官房長官 - 政治
 細田官房長官は13日の記者会見で、爆発物や自殺に関するインターネットのホームページについて「かねてから問題点として指摘されていた。政府として関係当局によく聞いて対応を検討したい」と語り、有害サイトの規制に前向きな姿勢を示した。

FIFA Confederations Cup 2005が15日の深夜(正確には16日)から始まる。ドイツで行われるこの大会は来年のワールドカップと仕事をしながら両立できるのかどうかを検証できる重要な大会だ。

スカパー!のサイトを見たところ、1日2試合で試合開始は25:30と27:30ぐらい のようだ。ライブで見ると終わるのは5時半くらいか・・・。しかし、ウチにはスカパー連動機能付きの「Cocoon」先生がいる。

ということで、ライブで見たいという気持ちは抑えてCocoonで録画し、夜9時くらいに寝て、朝4時から8時にかけて観戦するというのを基本方針とすることにした。これならば、結果だけ知ってしまう確率も低くなるし、その日のうちに話題にできる。そして、きちんと寝れる!(仕事をちゃんと済ませて帰れば)

とは言っても、ワールドカップの予選リーグは1日6試合ぐらいあるけどなあ・・・。

聖戦士ダンバインという富野監督が作ったアニメに、「ハイパー化」という現象が出てきます。ハイパー化っていうのは、人が持つ生体エネルギー「オーラ力(おーらちから)」によって動く人型兵器「オーラバトラー」が、搭乗者の膨れ上がった負の感情(欲望とか憎しみとか)によって巨大化する現象です。

さて、機動戦士Zガンダムの主人公「カミーユ」。彼は最後に憎しみによってハイパー化することでシロッコを倒します。そして精神崩壊に至るのです。俺はZガンダムというアニメのこの部分がね、許せないわけですよ。カミーユは何度も成長の兆しを見せるんですが、そのたびに人が死ぬ。で、キレる。最後もキレて終わり。最後なんてシャアに未来を託そうとしたりして、生きる気力無しかよ、とツッコミを入れたくなるわけです。

カミーユの「女性っぽい名前を気にして、それを言われただけで兵士に殴りかかる」という性格は、繊細で逆上しやすい子供というイメージを富野的にアレンジして投影したものではないでしょうか。そういう時代の背景を投影したものであるなら、そこは進むべき道を示すべきだと思うんですよ。しかしそれができなかった。俺はやらなかったんじゃなくて、できなかったんだと見ています。

Zガンダムの続編、機動戦士ZZガンダムの主人公「ジュドー」も最後はハイパー化しているようにも見えますが、あれは人の思いの力がエネルギーとなったもので、「私の命を吸って」と言われてそのとおりにやってしまったカミーユとは違います。そんなわけで、ZZガンダムのあの最終回は、本来はカミーユに表現してほしかったものをジュドーに表現させることで、カミーユを救い(カミーユ死んでないですけど)、カミーユの元となった若者たちに改めて道を示そうとしたのではないかと考えてしまうんですよね。

現在上映されている劇場版はまだ見てないんですが、「明るいカミーユ」が描かれていると聞きます。若者が持つ光の面にスポットを当ててカミーユを救おうとするこの取り組みは成功してほしいなと心底思います。

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